TOP > 世界旅行記目次 > 旅行記42 クネイトラ
   
  in  シリア
     
        破壊された町クネイトラ
 
          
 
 
 
 
シリアの南西部の丁度イスラエル国境付近にゴラン高原という地域がある。
通常地図で見るとそこには国境を示す線でなく、どちらの領土でもない「点線」で国境が示されている。

1967年当時シリア領だったゴラン高原にイスラエル軍が侵攻、その後幾度かの戦争を経て1974年にイスラエル軍は撤退するが、その撤退の際に爆撃・破壊されたのがゴラン高原のシリア側にある小さな町クネイトラだ。

シリアはその破壊された町を廃墟のまま残し、イスラエルの残虐性を世界に訴えている。

クネイトラは現在国連平和維持軍の管轄になっているが、一般の観光客も許可証を取れば見学ができるらしい。
現地では政府公認の無料ガイドも付く。まぁ監視役と言った方が正しいだろうが。。。


結構日程が詰まっていたのだが、そこに行こうと思ったきっかけは旅の途中に聞いた噂話だった。
どんな噂かというと、「クネイトラはシリアが被害を誇張する為にイスラエル軍が去った後自らの手で余計に破壊工作を行ったのではないか」というもの。

そんな事を聞いてしまうと実際自分の目で確かめたくなるもので、早速「町の壊れっぷり」を見に行く事にした。


当日は数人の宿泊客を集めダマスカスの安宿を9:00に出発、まず政府のパーミット(申請書)オフィスに出向いた。
お国柄、難しい手続きがあるかと思いきや申請はパスポートを出すだけで済んでしまった。
2時間後に戻って来いと言われたので周辺を散歩し、適当なシャイ屋(お茶屋)でアルギーレ(水タバコ:120円)を吸いながら時間を潰す。

11:00 無事パーミット(許可証)をゲット、その足でガラージュ(ミニバス乗り場)バラムケへ向かいクネイトラ手前の町アールナハン行きのセルビス(乗合ワゴン)に乗り込む。所要時間70分・料金は20S£(約46円)。

12:50 アールナハンでセルビスをクネイトラ行きに乗り換える。スムーズに3分くらいで出発ができた。
現地人にとってセルビスは日常の足なので、僻地でも意外に利用する客がいるようだ。

その5分後 チェックポイントを通過、パスポートの提示を求められる。

さらに5分後 再びチェックポストがあり、パーミットの提示を求められ公認ガイドが乗車してきた。
ここのガイドは人により結構ムラがあるらしく、中には英語が全く喋れない者や、面倒くさいので全部を見せてくれない者、最後に多額のチップを要求してくる者もいるという。
我々のガイドは一見無愛想だが英語もまあまあ喋れるイイ人がついてくれたでラッキーだった。

13:20 町の入口でセルビスを降りる(5S£・12円)。ロータリーの記念塔にはシリアの国旗が風に揺れている。

ここから歩いて町を散策。見所としては病院跡・モスク・教会・学校・商店街などがあるらしい。
一番メインになるところは病院らしく、早速ガイドに連れられ病院へ向かうことにした。

この日は丁度春先で、道の周りには草花が芽吹き、西には雪を被ったレバノン山脈が見える大変素晴らしい景色だ。
しかしその景色とは裏腹にあちこちに住居跡らしいガレキが点在している。。。

天気が小春日和だけに「廃墟」のイメージが想像しがたいのだが、10分ほど歩いて国連軍(UN)の基地横を通り過ぎた時、ようやく「ここは国連監視下の非武装地帯」であることを実感する。

UNの入口には戦車のキャタピラで作ったようなモニュメント?らしきのもがあり、ごく普通の建物だが、なぜか威圧感を覚える。

その向こうに大きな建物が見えた。病院跡のようだ。

建物の外壁には無数の銃痕が残っており、集中攻撃を受けたような感じがした。

建物の中に入ってみた。


・・・・・・・・。

スゴイ。。。

いったいどうやったらこれ程まで壊すことができるのだろうか?

1階部分の壁は4部屋分くらい撃ち抜かれていた。
よく建物が崩れずに残っていたなと感心。

壁という壁に銃痕や落書きが残っている。
銃痕は天井を含め至るところに撃ち込まれていた。一見「こんな所まで撃つ必要があるのか?」と思うが、戦争とはそういうものなのだろうか?

私は西チベットのグゲ遺跡でも同じ光景を見たことがある。
それは中国がチベット侵攻の際、チベット仏教寺院の破壊活動をした跡だったのだが、やはり一見意味の無いと思われる所にまでご丁寧に銃痕が残っていた。

彼らがどういう精神状態でココを襲撃したのか・・・。
今の私には想像ができない。


ガレキの山を乗り越えながら2階・3階を通り屋上へ出た。

さっきまでの閉塞感が嘘のように、また小春日和のパノラマが広がっていた。

山の向こうはイルラエル実効支配地域だ。
彼らはシリア側を見下ろせるあの山が欲しかったのだとガイドは言った。確かにあそこなら首都ダマスカスまでの平野が一望できる。
だがいったい真実がどうなのか、一介のバックパッカーには知る由もない。。。


印象深い病院を後にして、教会やモスク跡を見学した。

教会も同じ様にボロボロかと思ったが、古くなり廃墟化しているもののそれほど攻撃を受けた跡は見受けられなかった。
対照的にモスクは天井部分が無くなっており、相当の攻撃を受けた事が予想できる。

さすがは宗教戦争だなと思った。

商店街もブルドーザーで壊されていた。まるで地震にあったようだ。

クネイトラの見学は1時間ほどで終了。
たった一時間だったが随分考えさせられる体験となった。

前出の「シリアの誇張疑惑」についてだが、誇張があろうが無かろうがイスラエルがここを襲撃したことは事実である。
見学を終わった段階では、「そんなことどうでもいいんだ。それは大した問題ではない。」と感じた。

とにかく
ここには不幸な歴史があり、それは今も現在進形だということだ。

町にはチラホラ生活している人々がいた。故郷を捨てられないのだろう。
彼らが一番の被害者だ。きっとはるか昔彼らの先祖はこの美しい町で平和に暮らしていたのだろう。

今後彼らが故郷を取り戻し、ずっと平和に暮らしていけることを祈った。


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ガイドさんにお礼を言い、クネイトラを後にした。行きに来た時と同じ道を戻る。
途中アールナハンで町を見学することにした。

ここには現地で活動する
国連駐在員(平和維持軍)御用達のお店があり、国連グッズが売っているらしいのだ。実際に行ってみるとさすがは国連軍御用達の店。店内には5,6人の国連軍兵士がアーミー服で買い物をしていた。その服には「UN」の文字が光っている。。。

しかしこの店は本当にすごい。ここに来れば彼らは1時間以上掛けてダマスカスまで行かなくても生活・お土産の全てを買い揃える事ができるだろう。それほど大きくない店舗の中には、一通りの生活用品・薬・電気製品・デジカメ・パソコングッズ・インターネット・衣類・水タバコなどのお土産までもが所狭しと並んでいる。これらが店の半分を占めており、後の半分は国連グッズが並んでいる。
普段に使用する服や帽子をはじめ、各国国連軍のワッペン・記念Tシャツ・タオル・旗、さらには「
UNバスローブ」までも売っていた。恐るべし国連軍・・・。
質もさすがに国連御用達。なかなかのモノである。

Tシャツには「UNゴラン高原」などと書かれたレアなものや、さらには日本の国連軍(J−CON)専用の「UN JAPAN」と書かれた超レアな逸品まであった。侍が馬に跨っているバックプリント付き!

やはりここでも一番のお客さんは日本人なのだろうか???

買い物をしていると3人の日本人国連軍の方がちょうど買い物に来た。

「あれっ?どうしてこんなところにいるんですか?もしかして観光??」などと質問をされ、逆に驚かれてしまった。
そりゃそうだ、だってココは「
UNが強制的に平和を維持しなければならない地域」だもの。

まぁ私はパーミットも持っている身だから大きな顔して見学できるからいいんだけどね!
恐らく他国の平和維持地域だったら「
ヒンシュクもの」になる所もあるのだろう。

多少の会話を交わし、彼らは気まずそうに店を出て行った。
やはり観光客の前でUN軍兵士が「
お土産のTシャツ」を買う事は気が引けるのだろうか。


J−CONの皆さん、お疲れ様です。早く帰って家族の方を安心させてあげて下さいね♪




 
2006年3月20日
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