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        東洋人限定日帰りブータン入国
 
          
 
 
 
 
40日の空白期間を経てインドに復活した30男が次に向かったのはインド北東にある小国「ブータン」。
そう、もともとこの国を目指しててパスポートを盗られたのだ。今回2度目のチャレンジ。

コルカタの外国人専用鉄道切符売り場でチケットを買うと、何と前回(盗難された日)と同じ席ではないか!
忘れもしない、ダージリンメイル2343便エアコンなし2等寝台3号車62番。。。
あの日一瞬で貴重品バッグを「だいだらぼっち」に隠されてしまった(もはや昔話か・・・)席に再び荷物を置く事になろうとは。

運命のイタズラに振り回されながらも気合を居れ乗車、恐らく貴方がこの列車に乗っていれば「必要以上にバッグを抱えこむ日本人」を見る事が出来ただろう。まぁ、こういう時は概して何も起こらないもの。特に何事もなく爆睡して翌朝終点のニュージャルパイグリ駅に到着。
そこから国境行きのバスが出ているシリグリまでは約6km、車で20分・サイクルリクシャで40分だ。リクシャに30ルピー払いシリグリへ移動。

シリグリからバスに揺られて4時間、インド側国境の街「ジャイガオン」へ到着。小さな街の真ん中にあるゲートをくぐると、そこはブータン側の街「プンツォリン」となる。


ブータンという国は半鎖国政策を実施しており、基本的に外国人の自由旅行を認めていない。外国からの旅行者は年間1000人と決められており、必ずガイドを付けた「ツアー」という形を取らなければいけない。また、全ての旅行者に対してひとり1日$200の旅行費用を使用しなければならないという規則があり、仮に貧相なツアーを組んでも1日$200は取られてしまう仕組みなのでツアーは当然高額になる。

これは全人口60万人そこそこの小国が自国の文化を守っていく必死の方法らしい。周りのインド人・中国人や欧米の文化に左右されずノンビリ昔ながらの文化を守っていくのもいい風習だと思う。

こんなバックパッカーにとって非常に行き難い国だが、唯一ブータンにビザ無しで入国できる街がここ「プンツォリン」。
「フリーゾーン」と呼ばれる地域で、両国の人々がほぼ自由に行き来できるエリアだ。大陸の国境沿いエリアでは結構この形取る場所が少なくない。ココも一応ゲートはあるが、ブータンのイミグレ(税関)はゲートから4km歩いた丘の上にある。そこまでは事実上入国自由(パスポートにスタンプは押されない)!ノービザ!

・・・という情報を見つけワクワクしながら現地に向かうが、どうやら最近は少し状況が変わっていて外国人はゲートの係員に見つかると追い返されるらしいのだ。実際に行った旅行者の話を聞いても、「運次第だね」という返事しか帰って来ず、係員に呼び止められなければOKという曖昧な感じらしい。

私はどうせ近くのダージリンに行くので、ダメモトでチャレンジすることにした。

ジャイガオンに着き、国境ゲートのすぐ近くに宿を取った、ビザが無いためブータン側には泊まれないので仮に入国できても日帰りという形になる。午後3時に街へ着いたが、先日の列車内で風邪を引いたらしく熱っぽいのでブータンアタックは翌日に持ち越し。
インド側を少し歩くが、ちらほらブータン人が買い物をしていた。彼らは「ゴ」という民族衣装を着ているのですぐ分かるが、彼らを見た第一印象は、「ものすごい日本人顔」だということだ。
見た目肌は多少黒いが、まさに「海の家でバイトをしている日本人」というイメージがぴったり合う。今まで見てきたモンゴル人・チベット人も似ていたけど、ブータン人はそれ以上に骨格や顔つきが似ている気がする。


翌朝、いざブータン入国(潜入)を目指す。
日本人ということがバレないよう荷物を極力少なくし、黒いレインウェアーを着て地味に装う。この前タイでダイビングをしたお陰で顔は真っ黒なのでブータン人に見えないことも無い!幸いな事に今日は雨。辺りは薄暗いので傘を深く差してブータン人にまぎれる作戦で行こう・・・

宿を出るとすぐゲートだ。ゲートの横を見るとインド人が10人くらい止められてチェックを受けている。最近はインド人もチェックが厳しいらしい。
ブータン人が近くに居ないので渋々大柄なインド人の後ろにピッタリついて歩く。レインウェアのチャックを上げ髭を隠す。
現地人に見えるよう、ひたすら前を向いて何事も無く歩く。

ゲートまで5m、緊張の瞬間だ。止められればここまでの道のりが無駄足になってしまう。
ゲート下には二人係員がいるが、一人はインド人と話しをしているので実質は一人。

ゲートまで3メートル・2メートル・1メートル・・・ゲートを通過!と思ったとき、

「ハロー!」と係員が声を掛けてきた。

まずい!と思ったが、止められたのは目の前のインド人だった。彼も何気なく通ろうとしたのだ。アンタはバレバレやっちゅうの!
係員はチラッと私を見たが、スピードを緩めず無視して突破!

ここはもうブータン。無事入国(潜入)ができたのだ。

気分は「ショーシャンクの空に」のティム・ロビンス。
「俺は自由だ〜!」という感じがした。

国境の街だけあって、街の感じはインドっぽいが、所々にブータンの建物が点在している。人々も「ゴ」を着ている。ちょっとゲートをくぐっただけで人種が変わるので国境を越えた実感が湧いてきた。勿論ビザを取ってブータンを旅行した人に言わせれば、「この街はインドだ」と言われるだろうが・・・とりあえずブータンである。
ブータン側から見た国境ゲート
街をブラブラ歩くとゴンパ(寺)やデパート(スーパー位の規模)や映画館などがあった。数百メートル歩くとインド的な町並みは消え、田舎の中にブータン風の建物がポツポツ見えてくる。丘の上に登っていくと公共機関街があり、銀行・インド領事館・学校・郵便局などがある。
ちょっと歩くと田舎の風景が広がる
ブータンは珍しい記念切手が多い事で有名だ。以前一緒に旅をした友人にブータンからのハガキが欲しいと頼まれていたので、郵便局へ行く事にした。簡素な造りの郵便局は電話屋と両替所を兼ねていて、ポストカードが欲しいと言うとナゼか局長室に通された。

立派な机の前で待っていると局長が入ってきて、大きな金庫からポストカードの束を出してきた。
30枚位の絵ハガキがあったが、ほとんど同じ種類で区分けすると4種類しかない!しかも、ぶっちゃけ「センスが無い」。
一応風景写真なのだが、ゴンパと一緒に路駐している車が写っていたり(しかも車の方が大きく写っている!)、どこの風景だか分からない山と田んぼの写真だったり・・・どうやら切手には力を入れているが絵ハガキには無頓着らしい。

仕方が無いのでマシなやつを数枚選び購入。貧相なハガキでも1枚20Nu(通貨はニュルタム/1Nu=1ルピー=2.6円)、局長相手に値切る雰囲気でもないのでそのまま購入。値切らない代わりにお釣りを新品のお札にしてもらう。いいお土産ができた。

施設内の空いている机を借りて早速ハガキを作成。本当はホテルで書きたいのだが、一度出国してしまうともう入れない可能性がある。本来手紙を書くのは苦手なのでやたらと時間がかかり、郵便局員にジロジロ覗かれながら1時間掛けて数枚が完成した。

「記念切手が欲しい」というと、また局長室に通された。「おぉ、また来たか!」という感じで迎えられ、再び金庫から今度は切手が入ったファイルを出してきた。ハガキとは違いさすがに切手は沢山ある。局長と雑談をしながら20分くらい掛けてジックリ選ぶが、段々私の旅行内容に話が進んできたのでヤバイと思い、ノービザ入国がバレる前に切手を選び話を打ち切る事にした。消印を押してもらい任務完了。

国境近くに戻り昼食を食べる。2・3件回ったがどこもメニューが無く、口頭で「今日は○○と◎◎がある」というスタイルだ。客の入っている店に入り「何がある?」と聞くと、「チキンかポークかマトンとライスだ」という。インドではあまりポークが無いのでポークを注文して待っていると・・・

ポーク
カレーが出てきた!

これインドの料理やんけ〜と言うと、店のおっちゃんは断固として「ブータンの料理だ」と言い張る。食べてみると、まさしくカレー!しかもあまり美味しくない・・・それまで3食連続カレーだったのでブータン料理楽しみにしてたのに・・・落胆しながらほとんど脂身の豚肉を食べる。

午後は街を歩き市場や商店を見る。衣類を除くと売っているものはほとんどインド製だった。お土産品は少ないので見て回る程でもないが、何と言っても民族衣装を着た人々がインド的な町並みを歩いている風景が非常に興味深い街だ。すぐ近くの街なのにインド側が汚くブータン側がキレイなのも国民性が出ていておもしろい。

午後4時頃に再びゲートをくぐりインドへ帰国。出るときはチェックがほとんど無い。
インド側に行くと、ブータン入国を待つインド人の列が100人以上並んでいた。やはり以前よりきびしくなったんだなぁと実感。
ゲート前は大混乱
そういえば、以前はゲートを少し外れればドブ板を渡って国を行き来出来るという情報をどこかのHPで見た記憶があるが、今回見てみると幅&深さ2mくらいの大きな側溝が出来ていて、以前は行き来できていたような町の造りが側溝で遮断されており誰も渡っている人はいなかった。


私としてもブータン人がインド化するよりは国境を厳しくしてもらう方に賛成だ。
小さな国だが、がんばって伝統を守って欲しいと思う。決してインド化はしないように!



 
2005年10月8日