TOP > 世界旅行記目次 > 旅行記29 カジュラホ
   
  in  インド
     
    特捜煤i▼∀▼)イイ人を捜せ!inカジュラホ
 
          
 
 
 
 
インドの首都デリーから南東へ約200km離れたところに「カジュラホ」という小さな村がある。最寄の鉄道駅からバスで4時間かかる田舎だが、その村には世界遺産登録された有名な寺院群があり、村人はその観光収入で生活をしている。

その寺院群は10世紀から11世紀頃に建てられたものだが、「カジュラホ」という名前が世界的に有名になった理由は、その寺院群の彫刻がモロに「エロティシズム」を描かれた作品だからだ。砕いて言うと、お寺の外壁が性行為の彫刻だらけなのである。
これには様々な説があり、「人間界のエロティシズムを超えた作品」だとか、「昔の人々が性教育代わりにお手本にしていた」などあるらしいのだが、ココを観る旅行者にとっては単なるエロ寺院。そう、旅人はカジュラホにエロ寺院を求めてやって来る。
見事な合体シーンが描かれている。

昔は寺しかなかった土地に観光収入を求めて人が集まった場所だけに、インドでも有数の「観光客ずれ」をしている所でもある。観光客にとっては恐らくインドでも一・二を争う『ウザイ』観光地だろう。

「バスを降りたら客引きがドッと押し寄せてきた!」という話は観光地でよく聞く話だが、カジュラホの場合になると、「20km手前のバス停から客引きがローカルバスに乗り込んで来た!」という具合だ。彼らは約1時間掛けて、最初は日本語が喋れる親切なインド人を装って打ち解けくる。そして村に近づいた頃に客を落としにかかるのだ!安宿が多く、競争が激しいだけに宿側も必死である。


私が驚いたのは、この村の人々による「罵りあい」だ。観光地で「□□ホテルには気をつけろ」とか「土産屋の△△は偽物を高く売るから行くな」という噂はよく聞く話で、むしろ旅行者はそういう情報が知りたいので好んでそういう話題をしたがるもの。いつものように色々なホテルを見学しながら周辺の情報を集めていると、商売敵の罵り方が半端じゃない。それぞれが日本人の集まりそうな宿・店・食堂の悪口を言いまくるのだ。
AホテルでB・Cホテルの悪口を聞き、BホテルでA・Cホテルの悪口を聞き、CホテルでA・Bホテルの悪口を聞くといった具合である。

多少は情報を集めたい私もさすがに嫌気がさして来た。何しろ全てをまとめると、この村にはまともなホテル・店・食堂を含めまともな場所が無くなってしまうのだ!話を鵜呑みにすると、「全滅」である。
客を他に取られたくない為、嘘を付いて他に行かせない方法はよくあるが、ひとつの施設に対し複数の施設が様々な悪事を洩らすというのは異状である。何しろ悪い話が出ない施設は喋っている自分の施設だけなのだから!火の無いところに煙は立たない。やはりこの村は悪人だらけなのだろうか?

たしかに、普段はおススメの宿が載っている某有名ガイドブック「地球の○き方」でさえも、『カジュラホは宣伝・中傷ばかりで推薦コメントを掲載できないので読者が自分の目で判断してください』と書いてあった。実際来てみて納得である。


しかし、こうなれば私も元業界人の端くれ。今後来る旅行者の目安になる「真相」を明らかにするべくトコトンこの村を捜索することにした。何しろこれまでの情報ではみんな●「黒」、このままでは悪人の街になってしまう。確かに状況からいって悪人は多そうだが、中にはイイ人も居るはずだ!

そして私の特捜(▼ヘ▼) y-゜゜ は始まった・・・ 『イイ人を捜せ!』

捜査法は、手当たり次第に「悪口を言われた者」のところに行き、直接話をする。つまり、日本人が集まる全施設である。
ホテル・土産物屋・レストラン・インチキガイド・仲介業気取りのガキんちょ・・・etc。

捜査を進めるにつれ更に驚いたのは、村の住人の日本人女性との結婚率だ。ココでは日本人と結婚するのが最高のステータスらしく、みんなその目標に向け必死で日本語を勉強しているのだ。通りで日本語レベルが高いはず。何しろ私が滞在した4日間で二組の若い「日本女性・インド人男性夫婦」に出会ったくらいだ。彼らはインドに住んでいるのではなく日本に住んでいて偶々里帰りに来たところを道端で出会ったのだが、そう思うとすごい確立だと思う。結婚して問題が生じ離婚する例も多いみたいで、以前日本人女性と結婚していたインド人にも二人程出会った。この時出会ったカップルがいい人達だったのが救いだ。お幸せに。

日本に住む彼らも「この村は派閥争いが酷く、シガラミが多いので住みたくない」と日本語で洩らしていた。やはりこの村には問題があるようだ。

ちなみに私が泊まっていたホテルは「ツアーの勧誘がうるさく、蚊が多いのでマラリアにかかる客が多い」とどこかの宿が言っていたが、幸い蚊は多かったもののマラリアには感染せずに済んだ様だ。ツアーの勧誘は、宿のオーナーが海外旅行で留守だったためあまりしつこく無かったし。

色々聞き込みをしてみても、「彼はシロだ!」と断言できる人がなかなかいない・・・ん〜困った。


そんな中、フラッと昼食に立ち寄った小さな日本食レストラン「シバ・○ャンタレストラン」の情報のノートを見ていると、何とほとんどの日本人旅行者がこのレストランのオーナー(ジャ○ナーさん)を褒めちぎっているではないか!

「騙され続けたインド旅行で、ここはオアシスでした」
「ジャ○ナーさんの無欲で親切な生き方に癒されました」
「ジャ○ナーさんの家に招待され美味しい家庭料理をご馳走になりました」
など、褒めたい放題である。

客は私独りだったので早速ジャ○ナーさんと話をしてみた。彼は今から30年くらい前、1杯2ルピー(5円)の小さなチャイ屋を経営していた頃ある日本人旅行者と仲良くなり、彼の助言から日本食レストランを始めたという。それから彼は懸命に働き今ではレストラン・洋服屋など10店舗のオーナーになったサクセスストーリーの持ち主らしいのだ。今では店を息子達に譲って、昔からやっている小さな日本食レストランで日本人とお喋りをするのが趣味でこの店を経営しているという。

日本からのお礼の手紙も半端じゃなく、私が見ただけでも50通は超えていた。ココを利用した日本人客から無償で味噌なども送られて来ていた。彼は2度日本に旅行した事があり一度目は1998年、二度目は今年2005年の5月で、その時は東京・埼玉・神奈川・京都・大阪と「シバ・○ャンタレストラン」のファン達がバトン繋ぎ方式でジャ○ナーさんを家に招待し、彼は航空代金を払っただけで日本で一銭も使わずに旅行を終えたという!
その時の写真もすごい数で、鎌倉・京都・大阪・居酒屋・パチンコ屋など各地で様々な日本人と撮られたスナップ写真がそこにあった。まったくみごとな接待ブリである。

これ膨大な手紙の数々はもしや・・・遂にシロ○のオトコが現れたか?(・∀・)

圧倒的なこの証拠物件の数に信頼が高まる。彼自身も「日本人はこのレストランに集まるから私は他から恨まれている。私は金儲けをしないからなー」と言う。

旨い親子丼を食べ60ルピーの食事をしたが、お釣りが無いと言う理由で50ルピーにまけてくれたジャ○ナーさん、私はシバ・○ャンタレストラン通いをする決心をした。

夕食は一番おすすめだという「サムゲタン」を食べた。日本食ではないが彼は韓国料理屋も持っており、今は息子の一人が店を経営している。おすすめだけあって、ものすごく美味しかった。正確には本場のサムゲタンとはやや違うが、とにかくインド料理では出せない味だ。
さらにジャ○ナーさんはこっそりお酒を持ってきて私にも飲ませてくれた。インドの焼酎みたいな酒でさほど美味しくはないが二人で一本空けてしまい、話も弾んで久しぶりにいい気持ちになった。食事代にプラスしてお酒代を払おうとすると、「ユーライク!(いくらでもいいよ)」と言われたので30ルピーだけ払っておいた。ホントに無欲な人だ。

翌日、私がバイクの免許を持っているということで「近くに住む両親の家まで乗せてってくれないか?」という話になった。久しぶりの運転だったので、とりあえず試しに乗ってみてから決めることにした。だが、持ってきたバイクは超オンボロで前輪ブレーキは利かないし、ニュートラルランプも付かないしギアもたまに入らない・・・。実家までは片道1時間らしく、インドの凸凹道を走るのはちょっと大変なので残念だが諦めることにした。翌々日に一年で最大のイベント「ディワリー祭(日本で言う新年)」を控えていたのでジャ○ナーさんは挨拶に行きたかったらしいが、安全の保証ができないので仕方ない。「悪いねー」と言うと、「ノープロブレム!」と言いながら空いた時間で代わりに近くのお寺を案内してくれた。

昼食はジャ○ナー家に招待され、家庭料理をご馳走になった。野菜カレーと、チャパティーという円形のパンの様なものだけの質素な食事だったがこれがまた美味しかった。インドは家庭料理が一番だ。私はすっかりプチウルルン気分を味わう。すっかり仲良くなったジャ○ナーさんは、ディワリー祭の記念に彼とお揃いのクルタ(パジャマ)をプレゼントしてくれるという。何とも嬉しい事だ!私も何かお返しを考えなくては・・・ダージリンで買った紅茶でもプレゼントしようかな。
「部屋が空いているから良ければココに泊まってもいいよ」と誘われたが、さすがにそこまで無防備になれないので丁重に断わる。


その日の夕食は昼間のお礼に勿論レストランへ。街であった日本人旅行者に「カジュラホに来たらシバ・○ャンタレストランだよぉ〜」と声を掛け、多少ながら経営に協力をする。いつの時代もいい店は口コミで広がっていくもの。3人の日本人とジャ○ナーさんでボトルを2本空け、彼も昨日と同じ日本旅行の接待話をして気分も上々。「日本人は金じゃない!思い出が大事だ」という。会計はまたも「ユーライク!」。お酒代の足しに三人で合計100ルピー払う。
帰りに2番目の息子が経営する服屋でクルタの寸法を測ってもらった。そこにあった布地のカバンが気に入ったので値段を聞くと、お決まりの「ユーライク!」と言う。私は困ったが、見た目から判断して50ルピーを払った。

翌日は昼にレストランへ行く約束をした。午前中暇だったので、残っていた捜索を続ける事に。その日のターゲットは「○イクサイドホテル」。恐らく日本人が一番泊まっている宿だ。ココのオーナーは日本語がペラペラ。地主で長男がホテル経営、次男がレストランのオーナーで日本を行き来しており、三男は日本女性と結婚し神戸でインド料理屋をやっているらしい。カースト制度が未だに消えない田舎町では、貧乏から成り上がりのジャ○ナーさんと○イクサイドのオーナーは犬猿の中。お互い日本人を抱えているので仕方ないかもしれない。

私はオーナーと色々雑談をしながら相変わらず噂話を聞いていた。しかし、まずい事にホテル前を通りがかったジャ○ナーさんに犬猿のオーナーと話しているところを見られてしまった!

ジャ○ナーさんは不機嫌な顔をしながらホテルに入ってきて「俺と一緒にレストランへ行こう」と言ったが、私はもう少しオーナーと話がしたかったのでジャ○ナーさんには「後から行く」と言って先に行ってもらった。30分後レストランに行くが彼はおらず、通りかがった息子が「オヤジは夕方まで来ないよ」と私に伝えた。どうやら○イクサイドで話をしていた私の行為に嫉妬をしたらしい。

諦めて昼は息子の店でキムチチャーハンを食べる。

夜、日本人をさらに2人誘い5人でレストランへ行った。ジャ○ナーさんとは○イクサイドには友達が泊まっていたので仕方なく行ったんだ」と言って和解をした。更に私は「明日は祭りだから3食とも家で食べなさい。」と誘われるが、なすカレーが美味しいレストランに行きたかったので、昼と夜の2食をご馳走になる事にした。そのレストランは○イクサイドの弟がオーナーをやっている○ルースカイレストランなので勿論ジャムナーさんには内緒だが。

実は
昼間、○イクサイドのオーナーから変な噂話を聞いていた。
「ジャ○ナーの事を悪く言うヤツはこの街で少ないが、この前ウチのホテルに泊まった女の子が彼の家に招待された時、お金を貸してくれと言われたらしい。あまり深入りしない方がいいよ」と。
だが○イクサイドのオーナーは他から一番悪口を言われている人物。バラナシの宿にあった情報ノートにも「高額な工芸品を買わされるので注意!」と複数のメッセージが書いてあったくらいだ。「人の悪口ばっかり言うアナタこそ悪い人なんだよ!」とホテルを出てから呟いた。

翌日の朝食は予定通り○ルースカイレストランで名物「なすカレー」を食べた。噂どおり美味しく、インドを旅した中でベスト3に入る旨さのカレーだ。
丁度オーナー(○イクサイドの弟)が店で朝食を食べており、色々話を聞く事ができた。彼は日本とインドを行き来しており、ガイド業や弁護士などをしており、見た目から「上層階級」。話してみるとカジュラホの中で彼だけ話のレベルが飛びぬけて国際的だ。彼も敵が多いが、言っている事は間違ってはいない。恐らく見ている世界が違いすぎて他人から嫉妬されているのだろう。彼は日本語ペラペラで話も上手な人だった。高い品物を売りつけなければ・・・
(後で知ったが、前日夕食を一緒にした日本人が、後日彼と仲良くなった時に高額な工芸品を買わされそうになったらしい。( ̄_ ̄;))



昼になり、なすカレーの余韻に浸りながらジャナー家を訪問。
ディワリー祭といっても別に特別な料理と言うわけではなく、普通のカレーだった。あまりお腹が減っていないのでかえってこれくらいの方がありがたい。昨日と違い今日は「豆カレー」だった。味も悪くなく、一緒に食べるバターチャパティーも美味しかった。奥さんは英語が話せないが何故か雰囲気で言葉が通じるみたいで仲良くなっていた。3人で雑談をする。夕食は「チキンカレー」らしく、夕方一緒に買出しに行こうと言われる。

インドではディワリー祭の前にはみんな「モノを新しくする」という習慣がある。そのためディワリー前には町中に家庭用品の出店が並び、街を歩いていると壁を塗りなおす家が目立つ。そんな折、ジャナーさんも新しいものを買うと言う話になった。何と昨日故障だらけで乗りにくかったオートバイを新しくすると言う。さすがは店のオーナー、高い買い物だ。今度はギア無しのスクータータイプを買い、自分でも運転できる物を買うらしい。

私が「それいくらするの?」という質問を投げかけた時、ジャナーさんと奥さんは目配せをし、顔色を変えて言った。


「実は・・・新しいバイクを買いたいんだが、私は財産を全て息子にあげてしまったのでお金を持っていないんだ。だからちょっとお金を分けてくれないか?何、日本人にとってはたいしたことない金額だ。いくらでもいい。ユーライク。」

・・・・・・・・・・。

ユーライクって・・・・・、ジャナーさん・・・・・あんたまさか・・・
クロ●だったのか・・・・・・・・(;-_-;)

その瞬間、ジャムナー家の空気は1分間凍りついた。


私は余りのショックに声を出せない状態でいる。まさかジャナーさんが・・・そんな思いが脳裏をめぐる。私は今、この街で唯一信用しようと決めた人に大どんでん返しで恐らく一番高額な詐欺に遭おうとしているのだ。用心深い私でさえ彼にはすでに「情」を感じてしまっている。恐らくこのタイミングで言われれば断われない人も中にはいるだろう。


「脳ある鷹は爪を隠す」

私はこの時その言葉の意味を知った・・・

場の沈黙をかき消すようにジャムーさんが付け加える。
「できればでいいんだ。現金がなければトラベラーズチェックかキャッシュカードでもいい。いくらでもいいから助けて欲しい」

彼はあくまで低姿勢だ。私は「ユーライクじゃ分からない。いったいいくら必要なの?」と聞き返した。

彼は少し考えてから、「・・・・・200ドル・・・いや、無理ならいいんだ。無理なら・・・出来ればお金のない私にディワリー祭を楽しませてもらいたい・・・100ドルでもいい」と小さく答えた。

その言葉で私は彼をクロ●と断定し、防御体制に入った。彼は日本人が払ってもいいと思うお金の感覚を知っている、日本人の落とし方を知っているのだ。

「トラベラーズチェックは持っていない。キャッシュカードもあるけど、何故か今日はお金を引き出せなかったんだ。この街のATMが故障しているかもしれない。今あるのはインドのお金500ルピーだけ。明日には他の街へ行くのでそこでお金をおろすつもりなんだ。」私はそう答えてきっぱりとつきはなした。隙を見せたらそこにつけ込まれてしまう。

「そうか、金がないなら仕方ない。本当は今日新しいバイクを買って一緒にチキンを買いに行こうと思ったのだが・・・気にしないでくれ。ノープロブレムだ。しかし私は君が特別な友人だからこんなお願いをしているんだ。それをわかって欲しい。恥ずかしいからこの事を他人に言わないでくれ。」彼は引きつった笑顔を見せながらいった。

・・・さすがは長年のプロ、引き際も早い。これならあまり悪い噂も広まらないだろう。本当の悪人は善人の皮を被っているもんだ。

その後、ジャナーさんは話題を変えたが話は盛り上がらず、私は「友達に会う」と言ってジャナー家を出た。
ホテルの部屋に戻った後も私の脱力感は治らなかった。久しぶりにビールを買って来て昼間から一人でガブ飲みをした。



彼は今までにいったいいくら稼いだのだろう。ひと月に一回成功すれば十分な稼ぎだろう。それにしても、信用を築く為のカモフラージュが凄すぎる。情報ノートのお礼文、50通を超える御礼の手紙、日本旅行での日本人と仲良く写っている写真の数々、家庭への招待(これは多分自由にすると他で悪口を言われるので身柄を拘束する為だろう。)、クルタのプレゼント・・・。私が今まであった詐欺の中でも一番周到だ。なんせ日本人の友達が大勢いるのだから。

9人友達を作り1人を騙す。

恐らく彼はこんな手口を使っているのだろう。素晴らしく頭の良い大悪党だ。いや、もしかすると、本来はイイ人だったのかもしれない。
例えば日本へ旅行をし、あまりにも日本人が毎日接待をするのでお金の感覚がズレてしまったのかもしれない。日本人はいい思い出をあげればいくらでもお金を出すんだと勘違いをしているかもしれない。もしそうだとしたら可哀そうな人だ。


酔いの醒めぬ夕方、再びジャナー家へ行き、「風邪を引いたので夕食は食べれない」と断わる。明日の朝、出発前にレストランで朝食を食べる約束をし、ホテルへ戻る。

私は賭けをした。

もし彼が明日の朝、私にクルタをプレゼントしてくれたら、彼を半分信じよう。彼が日本人から不当にお金を請求したのは、○イクサイドのオーナーが話していたのと、私の2回だけなんだと。


翌朝、9:00にレストランへ行くとジャナーさんが待っていた。私は風邪引きを装っていたので「味噌おじや」を注文した。味噌は日本人が好意で送ってくれたものだ。旨い。

「もう味噌が残り少ないんだ。サンポ、日本に帰ったら味噌を送ってくれないか?」
私はオーケーというカラ返事をした。

情報ノートに書き込みをした。今回の事を書きたかったがそれは我慢し、ここのおすすめ料理を書いた後、一言「自己責任で付き合いましょう」とだけ書いた。

最後に彼のアドレス帳に住所を記入した。もちろん偽りの住所だ。名前の下に「ジャナーさんが日本に来るときには協力を惜しみません!」と書いてくれと言われた。恐らく次のターゲットへの布石だろう。私は「ジャナーさんが日本へ来るときは歓迎します」と書いた。

そろそろ時間なので代金を払うことにした。代金を聞くと「ユーライク」という。またいつもの言葉だ。だいたい考えてみればそれを言うインド人にまともな人物はいなかった。今回もそうなのか?
メニューを見るとオジヤは45ルピーだったが、私は100ルピー札と5ルピー札しか持っていなかった。「お釣りはある?」と聞くと、「ノープロブレム。ビコーズアイハブノーマネー。ユーライクOK」と言ってカラッポの財布を見せてきた。私も財布の中身を見せると、「100ルピー、ノープロブレム。ユーライク」と言う。いやいやコッチにとっては問題だよ!と思ったが昨日お昼をご馳走になっているので渋々100ルピーを払った。お金を受け取るときに彼は再び「100ルピー、ノープロブレム」と言った。

結局クルタは貰えなかった。別にクルタ自体ははどうでもいいのだが、サイズまで測ったのにその話題に触れないのがおかしい。哀しいが、やはりクルタは$200の為の布石にすぎなかったのだ。

彼はやはり
クロ●だった。


インドの商売人は日本とは違い、金持ちの人間から通常より高い金を請求する事を当然だと思っている。カーストが抜けきっていないインドではそれもまたひとつの文化だろう。しかし、今回の彼の考えを私は理解できない。しかし実際に払ってしまう人間がいるから彼は詐欺を続けるのだろう。勿論彼はそれを詐欺だと思っていないだろうが。



$200を請求された日の夜、私は同じホテルに泊まっていたインド人男性&日本人女性の夫婦と話をする機会があった。旦那さんはイイ感じの人で、今日本でインド料理屋をやっているらしい。私が正直インド人は信じられないという話題を持ちかけると、奥さんがこんな話をしてくれた。

「私の友人にインド嫌いの人がいる。昔はインドが大好きで何度もインドへ足を運び、インド人の親友もできた。親友のインド人とは10年来の付き合いがあり、あるとき彼を日本に招待することにした。彼は大変喜んで日本に来たが、数日後その家の金目の物と共に姿を消してしまったらしい。」

10年間の付き合い!私は驚きを隠せなかった。10年である。それでも金が絡むと変貌するインド人は多いのだ。


私は根本的にインド人との付き合い方を変える必要があると感じた。今までが甘かったのだ。
勿論全てを遮断するわけではないが、ヒンドゥー語を理解できない私が奥深いインドをそう簡単に理解できるハズがないのだ!

常にある程度の距離を置くバランス感覚が旅人には必要なのだろうか。幸いにもそういう経験がない人達はこの考えを否定するかもしれない。不幸にも経験がある人はどうだろうか。「運任せ」という感じがしないでもない。


ひとつ言えることは、「カジュラホで友人を作ろうと思うな!作るならせめてヒンドゥー語をマスターすべし!」

改めてインド、手強い国だ・・・

やたら親しげにカメラに写るのも手口のひとつか?



 
2005年11月1日