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  in  パキスタン
     
        桃源郷フンザ(冬バージョン)
 
          
 
 
 
 
パキスタンの北部山岳地帯にフンザと呼ばれる地域がある。地図でいうと、ちょうどインドとパキスタンが互いに領土を主張している所だ。現在はパキスタンが実効支配しているのだが、そんな争いとは無関係に思えるほど穏やかな人々がそこには暮らしている。

ここは世界有数の沈没地としてバックパッカーに人気の場所である。厳しい気候の冬を除いては。
日本人旅行者の間では、いつの頃からかここが「風の谷のナウシカのモデルになったところだ」と噂されるようになっていた。インダス川源流が流れる谷間に沿って点々と村落があり、村のすぐ後ろは5,000M以上の山々に囲まれ、数時間歩くとそこには氷河が現れる。緑に囲まれたのどかな村で地元の子ども達と戯れるもよし、伝統工芸に触れるもよし、毎日トレッキング三昧になるもよしという都会から来た旅行者(少なくともココよりは)には最高の保養地だろう。冬を除いては。

本当はシーズンの4月〜9月頃に訪れたかったのだが、何せ行くところが多すぎてイチイチ調整していられない身分なので、今回は寒さをこらえてシーズンオフ真っ只中のフンザへ行く事になった。途中であった旅行者からは「今頃何しに行くの?」と聞かれたが。
9月末に起こった大地震で途中にあるインダス川沿いを抜けるカラコルムハイウェイの状況が心配だったが2ヶ月経って何とか復旧したらしい。ただ途中には所々崖崩れの跡(ひょっとして進行形の)がかなり見受けられた。

ラホールという街からバスを乗り継いで31時間、1日前までは日中半袖で過ごしていたのだが、バスを降りるとそこは気温5度(日中)の世界。急いでありったけの服を着込む。

フンザには幾つかの地域があるが、一番有名なのはカリマバードという村。そこは日本とも関わりが深く、インフラ整備を日本が援助しているので村の人々はみんな親日派だ。そこには3つの有名な安宿がある。@名物おじいさん「ハイダー爺」がいるハイダーイン、A勝新太郎似のおじさんが経営するオールドフンザイン、B料理の上手い若きエース「コショー」が経営するコショーサンGH。どの宿のオーナーもいい人なので何処に言ってもハズレ無し、あとはそれぞれの好みだろう。ちょっと前は、「癒やし系のハイダー、味のコショー、設備のフンザイン」という感じだったらしく、みんな宿がバラバラでも夕食はコショーサンに食べに行くという行動パターンだったらしいが、最近は互いに切磋琢磨しどこも美味しい料理を出してくれるらしい。


バスを降りた近くの町からスズキ(乗り合い軽トラ)に乗り、ゼロポイントという場所で降りる。3つの安宿はどこもそこから3分以内にある。ラホールであったT君とH君、デリーで再会したS君と4人でどこに泊まろうか迷っていると、一人の老人が現れた。

「ハローじぃ〜、I’mハイダージー」


何とイキナリ名物爺さんの登場。どうやら旅行者を待ち構えていたらしい。一部の女性旅行者に「世界で一番カワイイお爺さん」とも言われているハイダー爺。彼は言葉の節々に「サンキューじぃ〜」とか「オーケーじぃ〜」など、「じぃ〜」という言葉を付けることから「ハイダーじい=爺」と呼ばれているらしいが、「ジー」とはこちらでいう尊敬語にあたる。彼は旅行者をリスペクトしてこの言葉を使っているらしいが、明らかに多用し過ぎの節がある。しかしそれもハイダー爺の憎めない所、爺に「グッモーニンじぃ〜」と言われると毎日心が和んでしまうのは私だけではないだろう。

とにかくこれも運命とばかりにハイダーインへチェックイン。景色は最高で部屋も意外にきれいだ、最近新しく3階を造ったらしい。しかしすぐさま安宿ならではの欠点を発見。それは、@暖房が無いA毛布が無い(うすい掛布団のみ)B大きな窓に対してカーテンが無い!というシーズンオフならではの不充実した設備によるものだった。夜はとにかく寒い!お陰で部屋にいる時は常に寝袋に包まる生活が続いたが、何せ1泊50ルピー(100円)なので我慢せざるを得ない。ある朝起きて室内の温度を測ると、窓を全て閉め切っているにも係わらず
部屋の温度が3度だった!寒すぎ〜。後日来た女性旅行者は自分でガスストーブを買っていた。

この地域の安宿は基本的に夕食もそれぞれの宿で食べる事になる。もちろん外で食べてもOKだが、ここで食事を断わるとハイダー爺はものすごく寂しい顔をする。以前は爺の悲しむ顔を振り切ってコショーサンに通う旅行者が多かったようだが、隣のレストランと提携してからはハイダーインでも十分美味しい(というか、かなり旨い)料理が食べれるので安心だ。この日は宿に泊まっている韓国人2人、中国人1人、フランス人1人と我々で食卓を囲んだ。


翌日は寒さに負けずフンザを観光。宿から50km離れたパスーという地域まで行って氷河と吊り橋を見に行く。

何故か「西京銀行長門湯本支店」と書かれた乗り合いワゴンにて移動。パキスタンは車が日本と同じ左側通行なので日本からの中古車がかなり走っている。しかも日本語はある種のステータスらしく、みんな日本語を消そうとしないのだがそれがまた面白い。とにかく西京ワゴンに乗りフサニという村落に到着。

そこに待っていたのは地元民が利用する吊り橋。だがその吊り橋は我々の予想を大きく超えるものだった。隣りあわせで二つ掛かっている橋はひとつが完全に倒壊しており、もうひとつの橋を渡るのだろうが、その橋はお世辞にも「完成している」とはいえないものだった。ワイヤーはしっかり張ってあるようだが、足場が歯抜けになっているのだ・・・
手前は倒壊した橋。 新しい橋も足場が・・・
最初は約60〜100cm間隔でワイヤーに挟み込まれただけの踏み板を頼りに渡ったのだが、最後はワイヤーを伝った方が歩きやすい事が判明。慣れると面白く、綱渡りのように渡りきったのだった。

無事に橋を渡り終え、フサニ村を通っていると、村のお婆さんが家に招待してくれた。

この付近の人達は旅人に対してとても親切だ。伝統的な造りの家庭でフンザティーとりんごなどを戴く。

隣のパスー集落まではヒッチハイクで到着。
ここは旅行者には人気のトレッキングスポットのはずなのだが、シーズンオフの今は人っ子一人おらず。往路2時間、復路1時間半のトレッキングを通してとうとう他の誰とも出会うことはなかった。地震の影響なのか、途中の道はかなり崩れており滑落の危険性もあった。トレッキング時々ロッククライミングといった感じでパスー氷河に到着。

生まれて初めて触れる氷河はガラスのような感じがした。とにかく固く、そして分厚い。こんなところに数時間で来れてしまうフンザという場所は素晴らしい、何か特別な感じがした。

ちなみにここでは「何千何万年も溶けていない氷河を自分の排泄物で溶かす」という密かな目標も達成。感無量で氷河を後にする。


今回は時間の都合で5泊しか滞在できなかったが、是非次回はアプリコットなどの花が咲く4月の時期にゆっくりと訪れたものだ。
恐らくこの旅の中ではダントツに親切な人が多い場所であった。沈没派でない私も冬でなければもしかすると沈没していたかもしれない。そんな魅力的な土地がフンザだった。



 
2005年11月30日